こんにちはイーテックe-mind 田中優子です。
久しぶりに書きましょうかね。
本日のテーマは「メンタルケア」です。
久しぶりに書くときってちょっとしたリハビリですよね。
どうやって書いていたのかも忘れるくらい、書けなくなるんですよ。そして今日はええかってなる。
そんなときにちょっと真面目な私は「ああ、今日もやらんかったな。私はダメなやつだ」と少なからず思ってしまうときがあります。
しかし自分の中だけのことなので、そこまで気に病むことはありません。
こういう気持ちにも強弱があって、わたしとあなたは感じ方も捉え方も違うでしょう。
ただ、出来てない自分をちょっと「イヤだな」っと思うけどやるのも面倒くさいので「明日から本気出す」とごまかすのです。
このごろあまりよいニュースがなくて、本当のことがわからずに憶測だけが一人歩きすることもしばしばです。
当事者にしかわからないこと、もしかしたら当事者でさえもわからないのかもしれません。
怖いことです。
「わからない」ってとても不安になりませんか?
そして人はその不安を怒りに変えたりすることもありますね。ああ怖い。
誰にでもいい時もあれば悪い時もあって、自分のせいではないこともたくさんあるんだけど、ついつい「自分がこうしておいたら良かったのかな」とかいまさらなことを考えて、わからなくなって鬱々とすることはとても不健全なんですが、こういうことも良くあるんですよね。
ここで「自分のことを責めたってしかたないじゃん!前向きにいこうよ!」とかいっても、そんなことは聞く耳を持てないのも人間あるあるですしね。
そこで提案。
メンタルってケアできるんですが、いかんせん上手に出来ない人も多いです。わたしもその一人。
正解はないのに正解を求める真面目さんも、ケアがちょっと下手な気がします。思い込みも助長しますし。
しかし感情がグラグラしているときに、その気持ちを吐き出せる場所はあったらいいなと思います。
要するに「愚痴」です。
強く意識高く生きている人は愚痴を言うことが苦手というか、上手くないように思うのです。
悪口ではなく、愚痴。泣き言が言えないって本当はとても辛いことなのでは?
完璧主義な場合、どう思われるか気にしてしまうかもしれませんが、気持ちを許してイケてない自分を見せるっていうのは、実はとても幸せな関係なのかもしれません。
メンタルケアのとっかかりは意識低そうに見える「愚痴」なのではないでしょうか?
聴くほうは特にアドバイスなどしなくてもいいのです。相手が勝手にしゃべってるだけで精神的に楽になるなら。
もちろん言いすぎるとこれまた自分もしんどくなる場合があるので、何事もやりすぎると良くないこともあるけれど、話をすることで気持ちに余裕をつくれるといいと思っています。
溜め過ぎはなんにしても良くないですね。